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小児科医のコラム914 待機 その2

コラム14 待機 その2

日曜日の昼間、私は医師寮の自分の部屋で待機していた。何かあれば病院に呼び出される当番だったのである。電話が鳴った。救急外来の看護師さんからだった。「これからけいれんの子が来ますので、先生よろしくお願いします」とのことであった。訊くと、二十数q先の病院から救急車で搬送されて来るのだそうである。
子どものけいれんはめずらしいものではない。大方が熱性けいれんで、静かに様子を見ていればそのうちに止まる心配のないものだ。だが、小児科医がいない病院だと、子どものけいれんというだけでお手上げなのかもしれない。
『何で遠路はるばる搬送するのか…、もしかしてけいれんが止まらないのか』と、私は懸念した。そっとしておけば大概は数分で止まるものなのだが、大声で呼んだり、背中をたたいたり、強くゆさぶったりなど、刺激するとかえって止まらなくなることがあるのだ。たとえそうだとしても、即効性の薬を静脈から注射すれば大抵はすぐ止まるのに。小さい子どもの点滴が難しくて出来ないのだろうか。小児科医でも簡単ではないのだから。

私は救急車の到着を待つことになった。一時間位はかかるだろうと推計した。待っている間、私は何も手につかなくなった。気になってしょうがない。そのうちにサイレンの音がしてきた。医師寮と病院は目と鼻の先である。自分の部屋にいても救急車が到着したのがわかるのだ。私は電話機の前で今か今かと待ち構えたが、一向に鳴らない。どうやら別口の患者さんだったらしい。もうあれから一時間以上経った。何台か救急車が来た。しかし、一向にお呼びがかからない。落ち着けずに待っているのにもくたびれてきた。どうしたんだろう。来る途中でけいれんが止まったので引き返したのか…。

そろそろ二時間が経過しようという頃になって、ようやく電話機が鳴った。「先生、お願いします」と、先程の看護師さんの声であった。ようやく来たか。何でこんなに時間がかかったんだろう。いくら何でも、もうけいれんは止まっているに違いない、そう思いながら病院に向かった。正面玄関を入ってすぐ右が救急外来である。
急患室に救急車のストレッチャーが運び込められてあった。その上に横たわる乳児を見た瞬間、私に戦慄が走った。何ということか。まだ続いている。この小さな乳児はおよそ二時間もけいれんし続けているのである。まさしくけいれん重積だ。私は自分に活を入れた、今こそ自分がしっかりしなければと。

近づいてよく見た。全身の筋肉が痙攣と弛緩を数秒ごとに繰り返す「間代性けいれん」であった。子どもの顔はひきつり、目はうつろで焦点が定まっていなかった。肌や爪にチアノーゼは見られない、むしろ顔の色は紅潮していた。一見して低酸素の状態ではないことがすぐ分かった。不自然な呼吸だが、痙攣の合間に息を吸うことが出来ている。それを見届けた私は右手で子どもの顔を横に向け、左手に酸素マスクを持って口元にあてがった。半開きの口からはよだれが流れ出た。額を触ると高熱がでていた。

一刻も早くけいれんを止めなければ。とにもかくにも血管確保だ。医師、看護師が手分けして血管を探しにかかる。乳児はプクプクに太っていて血管が皮下脂肪に埋もれている。しかもけいれんの影響で血管が収縮して、よけい見つけることは困難である。手足に強いライトの光を当てたり、温めて血のめぐりを良くしたり、手足をしごいて血液の流れを見てみる。狙いをつけたら決して目を離さず、息を止めて慎重に針を刺入する。しかし、乳児は断続的な痙攣で体がぶれる。押さえつけても完全には静止できない。狙いが定まらない。

点滴が入りにくい条件がそろっていた。気持ちは焦る。刺入した針はなかなか血管を捉えることが出来ない。細い血管に針が当たっても、すぐに突き破って出血させてしまう。何度も失敗を繰り返した。ご両親は急患室の壁に背をつけて立って一部始終を見ている。失敗すると自責の念と焦りがつのる。焦れば焦るほど成功率は下がるのである。
以前、絶対入れなければならない点滴がどうしても入らない状況の時に、誰かが「点滴地獄」と言ったことがある。まさにその言葉通りだった。

じりじりと時間は過ぎていった。自分は今まで何度も点滴地獄をかいくぐってきたのだ。あきらめなければどうにかなる。そう思った時に、乳児の痙攣がだんだん弱くなり始めた。そしてついに、自然に止まったのである。壁の時計を見た。病院に到着してから既に四十五分が経過していた。乳児は楽な呼吸になり、そのまま静かに眠っていった。経過を見るため小児科に入院となった。

病室でしばらく眠りつづけた後に、自然に目を覚ました。乳児は機嫌よくお母さんに抱っこされた。熱は続いていたが、けいれんは再発しなかった。三日後に解熱し、入れ替わるように体に発疹が出現した。突発性発疹であった。その発疹もまもなく消失した。何の後遺症も残さずにその子は元気に退院していった。後で医学書を調べると、「突発性発疹は、けいれん重積を起こすことがあるので注意が必要である」と一言だけ記載されてあった。

次の日曜日、私は医師寮の自分の部屋で待機していた。この日も私は何かあれば病院に呼び出される当番だったのだ。しかし、大した用事で呼ばれることもなく、自分の部屋で平和にくつろいで過ごすことができた。私にはそれが、ただただ有り難かった。