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小児科医のコラム25 そうかん

コラム25 そうかん

ある日曜日の夜中、枕元の電話機が鳴った。私は朦朧としながら受話器を耳に当てると、いきなり看護師さんの絶叫だった。
「センセーッ、キテーッ!」(ガチャッ)
聞き覚えのある声だと思った時にはすでに切れていた。ただならぬ緊急事態であることは眠りから覚めていない自分にも分かった。

眠気を振り払おうと、いったん目をギューッとつぶった。そして、まぶたを開けるためにおでこにしわを寄せて眉毛を釣り上げた。下まぶたに粘着していた上まぶたが剥がれるようにして引き上げられた。まぶたは開いたものの真っ暗だった。だんだんと視野の真ん中がぼんやり見えてきた。暗闇の中でペンライトを点けたようである。顔が火照って、頭はガンガンしている。からだがやけに重い。鼻がつまって口の中はカラカラだ。私は自分の状況がだんだん分かってきた。泥酔しているのだ。コップ酒で深酒して、そのまま寝込んでいたのであった。

私は重い体を起こし、慌ててズボンとシャツを着た。靴下はどこだ。探している暇などない。見つかったって履くのは今の自分じゃあとても無理だ。白衣を羽織って部屋を出た。廊下を走って階段を駆け下りたかったが、倒れないように歩くのが精一杯だ。サンダルをつっかけて医師寮を出た。歩こうとすると右足と左足が交差した。これが千鳥足かと思った。急ぐと余計に頭がガンガンする。寮は病院の敷地内にあり、正面玄関まで歩いて一分もかからない。そこを入ってすぐ右が救急外来であった。

急患室は明るく蛍光灯がついていたが、目にクマがかかっていて全体が霞んでいる。看護師さんの顔も判別できない。見ると、子どもが寝かされている。交通事故で自発呼吸が危ういのだという。いきなり言われた。
「せんせい、そうかんおねがいします」

「そうかん」とは、気管内挿管のことだ。気管の中まで管を挿入して、それを介して人工呼吸を行うのである。挿管の手技は簡単ではない。これまでに教わって練習したことはある。だが、医者になってまだ二年目、実際の患者さんに一人でやる機会などはなかった。
ぶっつけ本番にちかい。
私は愕然とした。命に係わるもっとも重要な処置である。それをやれというのだ、今の私に。最悪のコンディションである。かといって他に出来るものはいない。一刻を争う。誰かに助けを求めることはできないのだ。今すぐ、ここで、自分が、やるしかないのだ。

嘆いている暇などない。子どもの命がかかっている。即座に腹を決めた。一か八かではない、絶対に成功させるのだ。教わった通りにやるのだ。私は左手に喉頭鏡を持った。その先端を口からノドの奥に差し入れた。そして、喉頭鏡を上に持ち上げると顎が引き上げられ、ノドが広がった。覗き込むと、気管の入り口がはっきりと見えた。さっきまで霞んでいた目が、そこだけ焦点が合ってくっきり鮮やかに見て取れたのだ。本に書かれてあった図と全く一緒だった。私はもう身動きできなくなった。少しでも動こうものなら見失ってしまうかもしれない。まばたきすることさえはばかられた。

私は視線を気管の入り口に向けたまま「チューブ」と叫んで、右腕を宙に差し出した。そして鉛筆を持つような指の構えをした。チューブとは気管内挿管用の管のことである。待ってましたとばかりに、すぐに親指と人差し指の間にチューブがあてがわれた。それを指でしっかりつまんだ。そのまま口からノドの奥に差し入れていった。チューブの先端が気管の入り口に向かって進んでいった。入り口がチューブの陰になって見えなくなってきた。しかし、見つめ続けている視線の方向には間違いなく気管があるのだ。その視線の方向にチューブを進めていった。すると、ずるずるとチューブが差し込まれてゆくような感触が右手に伝わってきた。気管に入ったようである。私は念のためもう少しチューブを差し入れた。もし浅く入っただけであれば、抜けてしまうからだ。喉頭鏡を引き抜いて、チューブから酸素を送り込んでもらった。子どもの胸が膨らむのがわかった。聴診すると空気が入る音が聞こえた。成功である。「よしっ」と言って、チューブを口元に粘着性のテープで固定した。

チューブを通して効率よく人工呼吸が行われるようになった。私は患者さんのそばから離れた。目がかすんで周りが良く見えない。頭がさっきよりガンガンしている。立っているのも辛い。その後の処置は他の科の医者の出番だった。私はどうやって自分の部屋に戻ったかは覚えていない。泥酔していたのだから。しかし、あのときの気管の光景はいまだに鮮明に覚えている。今思い返しても、夢の中の出来事のようである。

翌朝、私は重い体を引きずって病院に向かった。月曜の朝だった。今週の診療が始まるのであった。