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小児科医のコラム35 当然の酬い

コラム35 当然の酬い

今から四十数年前、小学校低学年だった頃のことである。兄と私は父に勧められて日曜学校に通うことになった。日曜学校とはキリスト教の教会の日曜日に行われる朝の子どもの集まりである。賛美歌を歌ったり、牧師さんの話を聞いたり、神様へ感謝のお祈りをするのだ。父も子どもの頃に通っていたのだそうである。しかし、だからといって特にキリスト教を信仰していたわけではなかった。それでも何故か「おまえたちもどうだ」と勧めてくれたのである。教会に通うことで道徳心を養ったり、善いおこないをする少年になってくれればと思ったのであろう。さもなければ、日曜日でも寝坊せずに朝から起きて有意義に過ごすようにと考えたからであろう。

ところが私は父の期待とは裏腹に必ずと言っていいほど寝坊した。そして兄の後を追うようにして自転車を飛ばすのであるが間に合わない、遅刻である。教会は時間通りに始まり、皆がオルガンに合わせて賛美歌を歌っている。そこに入り口の扉をそお〜っと開けて入って行くのだ。だけど、古い木の扉は建て付けが悪くどうやっても音がしてしまう。気まずい思いで席に着くのであった。しかし、その時ばかりは引け目を感じても、私は懲りずにまた次の週も同じように遅刻を繰り返した。そして前の週とは違う要領で扉を開けてみるのだが、どうしても音を立てずには開けることが出来なかった。私は次の週も、また次の週も扉の開け方を工夫してみたが駄目だった。必ず「ガチャン」と音がするのである。神様にお祈りしてみた、『もう遅刻しないようにどうぞ見守り下さい』と。しかし私の悪癖は治らなかった。信仰心が薄かったのだ。

日曜学校には出席カードみたいなものがあった。そこには一年分の出欠席が記録できるようになっていた。それを各自が毎週持参してきて始まる前に提出し、出席のハンコを押してもらうのである。遅刻した私も帰りがけにハンコを押してもらった。ただし、遅刻者には違うハンコが押されるのであった。ということはつまり、私にとって出席のハンコは遅刻者の烙印でもあったのだ。ハンコを押されるたびにバツの悪い思いをした。そして、このカードは年末になると提出させられた。この出席カードを基にしてクリスマス会でのプレゼントが決まるのである。そして、クリスマス会では成績優秀者からグレードの高いプレゼントが贈られるのであった。当然私は最後の方の順番であり、「それなりの」プレゼントを頂いた。私は、私の一年間の悪行がみんなの前で明らかにされたようで鬱陶しかった。

私はある時からハンコを押してもらうことをやめた。それはたとえ遅刻しなくても、である。さらに、年末になってもカードは提出しないことにしたのだ。たくさんの遅刻のハンコが押されたカードではプレゼントのグレードが下げられてしまう。だったらいっそのことそんなカードを出さなければ、遅刻の実態がつまびらかになることはない。少しは誤魔化せるのではないかと思った。そうなれば、プレゼントのグレードがそんなには下げられないで済むかも、そう考えたのである。何ともみみっちいたくらみであった。

いよいよその年のクリスマス会の当日、プレゼントが配られる段になった。成績が最も優秀な子の名前が呼ばれてプレゼントが手渡された。皆からウワーッという歓声が上がり、拍手が送られた。大きな箱に入ったオモチャだった。何のオモチャだったかはよく覚えていないが、私はそれを見た瞬間『こんなオモチャがあったんだ、僕もあんなのが欲しいなあ』と思った。だけど自分には望むべくもなかった。拍手しながらそれを見送ったのだった。そしてさらに、成績順に次々と名前が呼ばれてオモチャが贈られた。その都度、拍手と歓声が起こった。私は羨望のまなざしで見守った。しかし、プレゼントのグレードはだんだん下がっていくのが目に見えて明らかだった。出席状況で厳格に決められてあったのだ。情けはないものかと、なんだか悲しくなった。

しかし私の番はなかなか回ってこない。いったい僕のはどうなるんだろう。期待の半面、不安が増幅していった。だが、ついに私の名前が呼ばれた。無事にプレゼントを頂くことが出来た。それはオレンジ色のビニールの手さげに入ったカルタであった。遅刻を誤魔化そうとする不届き者の私を神様は見捨てずにいてくれたのだ。ただし、頂いたプレゼントのカルタはやっぱり「それなりのグレードの」ものであった。神様には私の素行などお見通しだったのである。

どんなカルタなのか、私はすぐその場でビニールの隙間から覗いてみた。カルタの札にはなんとキリスト教の教えが印刷されてあった。『何だこりゃ』、キリストの教えを唱えながら遊べとでもいうのか…。おもちゃ屋で売っているのとはまるで違う。どこで買ってきたんだろう。教会の人には誠に申し訳ないけれども、嬉しくはなかったのである。これで遊んだってぜんぜん面白くないだろうに、正直ガッカリだった。私の期待は一瞬にして失望に変わった。だけど、いまはクリスマス会の真っ最中である。よもや落胆したことなどおくびにも出すわけにはいかなかった。

もしかしたら、神様は私にどんなプレゼントを与えようかよっぽど悩んだのかも知れない。遅刻常習者には何が分相応か、出席カードをボイコットするようなケシカラン少年にはどんなものがふさわしいか。そこで考え着いたのがキリスト教のカルタという訳であろう。クリスマスのプレゼントで遊びながらキリスト教が学べればいい、そうすればこの少年は信心深くなってひいては遅刻しなくなるかも知れないとでも考えたのだろう。だからこそ、このカルタは私にとってまさに神様からの「当然の酬い」であったのだ。

私はついぞあのカルタで遊ぶことはなかった。そして年が明けて新しい年度が始まった。私は引き続き日曜学校に通ったのだが、またしても遅刻を繰り返したのである。ということでハンコのボイコットも継続されたのであった。