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小児科医のコラム42 自分という人間

コラム42 自分という人間

今では全く見かけなくなってしまったけれど、昔は「貸本屋さん」というのがあった。我が家の近所にも横丁を曲がった先の角に一件あった。子どもがお金を払って本を借りるのである。それなら図書館でいいようなものだが、貸本屋の本はほとんどがマンガ本なのである。今は図書館でもマンガ本を置いているところがあるけれど、当時ではそんなことありえない、もってのほかであった。子どもとしては買えないけど読みたい、買うと叱られるけど読みたかった。そこで貸本屋である。貸本なら少ないお小遣いでも借りて読むことが出来る。親に見つかっても買ったわけではないからお小言くらいで済むのだ。小学生の私もよく利用した。あのころは子どもの数も多かったからいい商売になっていたのだろう。

私は小さい頃から家の中で遊ぶ子どもだった。逆に、兄は外に遊びに行く方であった。外で遊ぶからには一人のはずはない。友達とつるんでいたのだろう。泥や埃にまみれて帰ってくることもあった。どこでどんな遊びをしているのだろう。全然想像がつかなかった。そして、私も家の中ばっかりじゃなくて外でも遊ばなければいけないと感じていた。子どもは風の子というからには、風に吹かれて遊ばなくちゃいけないと思ったのだ。

私が小学校低学年だった頃のある日、いつものように兄が学校から帰ってきて、「あそびにいってくるよー」といって出て行ったのである。私は急に思い立った、兄がどんな遊び方をするのか見て参考にしようと。「ぼくもいくー」といって玄関から後を追った。兄についてゆくとあからさまに嫌がられた。「くるなよ」とか「帰れ」と言ってけむたがったのである。私は「いいじゃない」、「つれてってよ」と食い下がった。横丁を曲がって貸本屋の角に来た時に兄がくるっと振り返って言った。「もうこれいじょうついてくるとぶっとばすぞぉ」

『ぶっとばすってなんだ?』初めて聞く言葉だ。一瞬考えた。『ぶたれたら飛べるのか?』兄がげんこつで私のほっぺたを殴るシーンを思い浮かべてみた。あたかも巨人の星の主人公である星飛雄馬が父一徹に思いっきり殴られてのけぞる場面だ。そしてその次に浮かんだのは、ほっぺたを少し腫らした私が直立不動の姿勢のまま貸本屋の屋根よりも高く、電信柱を下に見ながら空中を飛んでいるシーンであった。鉄腕アトム、鉄人28号、オバケのQ太郎にもよくそういう一コマがあったのだ。『ほんとか?…』『少しぐらい痛くったって空を飛べるんならどんなにいいだろう』しかし次の瞬間、私は思い返した。『……まさか、そんなことあるわけねーよなー……』そう考えているうちに兄はどこかに行ってしまった。私はかなりマンガの見過ぎだったようである。これが生まれてはじめて「ぶっとばす」という言葉を聞いたときの記憶である。

私が小学校六年生だったある日、近所の文房具屋の前の道路に「押しボタン式信号」が設置された。こんな小さな交差点にも信号機が付くのかと驚いたのを覚えている。小中学生の通学路になっていたからなのだろう。片側一車線のそんなに大きな道でもない。車が切れたら難なく渡れる道路である。しかし、信号機があるからには青になるのを待たなければいけない。その当時、私は小学校の児童会長であった。他の生徒の模範にならなければいけない。いつどこで誰が見ているのかも分からない。だから交通ルールもしっかり守っていたのである。私は自転車から降りて信号が変わるのを待った。ところがいくら待っても信号は変わらないのだ。いくら長い信号だったとしてもさすがに変だ。電柱には押しボタン式信号と書かれてある。大きな緑色のボタンも付いている。これを押せば変わるんだろうなとすぐ連想できた。

私はボタンを押して青信号になってから道を渡ったかというとそうではない。かといって信号無視してそのまま渡ったのでもなかった。私はあえてボタンを押さずに待ち続けたのである。なぜか。私は児童会長だったからである。そして小学校の校舎が鉄筋の三階建てに建て替わったばかりだったからなのである。新しくなった校舎の廊下には赤い火災報知機が取り付けてあった。ボタンを押したら消防署へ直接通報されるようになっているとのことであった。一刻でも早く知らせるようになっているのだ。さすがは最新の設備だと感心した。だから決してイタズラして押さないようにと先生からきつく注意されていたのである。もしも押したら消防車が何台も駆けつけて大騒ぎになると。しかし、この信号機はどうだ。今まで見たこともない。最新のものなのだろう。押しボタン式とある。多分押せば信号が変わると思うけど、絶対にそうだろうか。そんなことどこにも書いてない。先生から教わったこともない。もしボタンを押して警察に通報がいってパトカーがたくさん来て大騒ぎになったらどうするか。児童会長ともあろうものが学校の面汚しだ。万が一とはいえそんな危険を冒したくはない。それよりは待ち続けていた方が無難だ。いくらなんでもそのうちに信号が変わるだろう、そう考えたのだ。私の記憶では十分以上も待ったと思う。でも一向に変わることはなかった。我ながら俺って気が長いなぁとうすうす感じた。信号機は常時幹線青方式というやつだったのである。ボタンを押さない限り変わらないのだ。やがて向こうから自転車に乗ったおばさんがやってきた。止まって自転車から降りてボタンを押した。信号がすぐ変わった。私はたったいま信号を渡ろうとしていたかのような素振りでおばさんとすれ違った。これが私にとっての生まれて初めての押しボタン式信号であった。

中学校を卒業して十五年くらい経ったときに同窓会が開かれることになった。私も実家に帰ったついでに参加してみた。だけど、地元に残った人間同士の会話にはなかなか入っていけない。何か聞かれて答えても会話が続かないのだ。それに自分はもともと興味のあるものがはっきりしていて、それ以外のものには好奇心が薄い性質だったからかもしれない。仕事がら病気のことは長い時間しゃべっていられるのだから。結局、同級生の話を聞いていることの方が多くなった。手持無沙汰を紛らせるのについつい水割りを飲んでしまった。当然翌日は二日酔いである。頭がガンガン痛い。胸がむかむかして気持ちが悪い。こんな時は早く吐いてしまった方がいいのだ。我慢しても結局は吐くのだから。私はトイレに駆け込んだ。

久しぶりに帰った実家のトイレは今風の洋式トイレにリフォームされてあった。私は便座に両手を置いてその間に顔を突っ込んで吐こうとした。吐き気のあまりに目をつぶるのだが、反射的に涙と鼻水が湧き出てくる。いよいよ胃からこみ上げてきそうになったその時、何か「ウィーン」というモーターのような音がした。次の瞬間、「ピッチュー」と顔面めがけて水が噴射されてきた。『ウワーッ、なんなんだー』吐くどころではない。水で目も開けられず、かといって顔をそむけるわけにもいかない。『これが例のあれかぁー、ちっくしょぉー』便座に手を着いたと思ったのが間違って何かのスイッチを押したんだ。私は左手で止めるスイッチを探した。どこがスイッチなのか、どれが何のスイッチか分からない。手当たり次第押した。これが私にとっての生まれて初めてのウォシュレットだったのである。散々な目にあった。あんなジェット水流がお尻の穴に噴射されたらどうなることか、考えただけで恐怖だ。だから私はそれ以降十五年近くもの間、温水洗浄便座というものを使うことが出来なかったのである。

私は中古住宅を購入してトイレもリフォームして和式から洋式に変えた。一番新しい便座にした。洗浄機能つきである。家族は皆それを使っているようだが自分は怖くて使えない。でも、せっかくあるものだから使わなければ損だ。自分もきっとできるはずなのだ。勇気を振り絞って挑戦してみることにした。しかし、いきなりでは怖い。事前に練習することにした。日帰り温泉に行ったときや出張でホテルに泊まった時にである。大浴場に備え付けられてあるジェットバスを利用するのだ。泡のジェットが出ているところに恐る恐るお尻の穴を近づけてみるのである。まかり間違っても他の人に悟られてはいけない。チャンスをうかがってやるのだ。何度も訓練してからいよいよ自宅で実際に決行した。そしたら意外と簡単であった。拍子抜けした。私はやっとトラウマをひとつ乗り越えたのである。

いずれのエピソードも「生れてはじめて」で思い出されるものである。後から見れば馬鹿馬鹿しいとしか言いようがないが、でもその時その時で私は真剣だったのだ。ということはつまり、自分という人間は根っからの真面目だったのかもしれないが、ちょっと的を外してしまいがちなバランスの悪い人間ということなのだろう。