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小児科医のコラム67 真相(コラム66の続き)

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コラム67 真相(コラム66の続き)

五十年前のあの事件、謎のまま終わらすことはできない。真相が知りたい。母に尋ねてみることにした。記憶を呼び覚ましてもらうのだ。どう言って伝えればいいだろう。言葉が足りなくて思い出せなかったら心残りだ。文章に書き下ろすことにした。じっくり読んでもらうのだ。そうやってコラム66「謎」の原稿ができ上った。

一月某日、実家に泊まりに行った。部屋でくつろいでいると母の足音が近づいてきた。夕食を持ってきてくれたのだ。焼き魚、ひじき、ゴマの和え物、アサリの味噌汁、それと缶ビールが添えてあった。

「コラム書いたよ」と言って原稿を手渡すと、「また、なに書いたん?」と笑い返してきた。これまでコラムを書く度に母に見せてきたので、新作を楽しみにしていたのである。 「よくまあ小さい頃のことを憶えてんだねえ、私なんか仕事が忙しくって何にも覚えてないよ」
「今度のはねぇ、読んだら母さんからぜひ答えを聞きたいんだよ」と、私はわざと思わせぶりに言った。
「なに?なんだかこわいね」と母はニコニコして答えた。
「ああそうだよ、こわいよ」
私はわざとらしく声を荒げて言ってやった。
母は原稿を受け取って戻って行った。私は缶ビールを開けた。時刻は午後五時五十七分だった。

すぐ読んだのであろう。ドスドスドスと勢い勇む足音がした。障子が開くと母の声だ。
「全く覚えてないよ、そんなこと。あれば覚えているよ。嘘っぱちだあ!」
吐き捨てるように言って原稿を投げ返すとそのまま行ってしまった。午後六時二分だった。

しばらくして、母がお茶を持ってきた。食後にお茶を飲まないと体に毒だと思っているのだ。
「魚がうんまかったね」と言ってきた。
「ああ、うんまかったよ……どうだい、思い出したかい」
「思い出さないよ。覚えてないよ」
「隠してんだろ、母さんは。隠さないで教えなよお!」
「隠してなんかないよ。覚えてないよ。あきちゃんの妄想だ!」
時刻は午後六時二十六分であった。

嘘や妄想だなんて、冗談じゃあない。こっちにははっきり脳裏に残っているんだ、五十年もかかえ続けてきたんだから。それが、たったの三十分の間でやり取りで事件の存在さえも否定されてしまった。納得がいかない。

どうしてあんなことが起こったのか。よくよく考えてみれば、あれは罠だったのだ。隠し場所がばれていたのだから。必ず私があの投げ文を拾うように便所に置かれたのだろう。そして、便所から出てきた私の不審な行動を一部始終見ていたのだ。単独犯なら母だ。複数犯だとすると母と兄、あるいは母と妹だ。いずれにしても母は共謀者である。主犯格かどうかはわからない。しかし、兄にしたってせいぜい小学生三〜四年生だったはずだ。妹はまだ幼稚園児だ。子どもがそんな手の込んだやり方で人をおとしめることなどするだろうか、しかも親を使ってまでして。そんなに恨まれるほど仲が悪かったとは思えないのだが。だいいち子ども同士のいざこざに母が加担するはずがない。もし母が単独犯だとするとなぜあのような仕打ちをしたのだろう。理由もなく親が子どもをいじめるわけがない。

ここまで考えると、とにかく実行犯は母であることに間違いはない。その動機は明白だ。母が外部の人から苦情を言われたのだろう、スカートめくりを止めさせるようにと。おそらく学校の先生かクラスメートの親だ。母にとってみれば赤っ恥もいいとこだ。それでとっちめようと思ったのだろう。子どものしつけに容赦しない性格だから、あのような手の込んだ罠を仕掛けたのだ。そうに違いない。

しかし、どうやって母に投げ文を隠す現場を見られたのだろう。便所から出るとき、外にひと気がないかあれほど注意したのに。だけど…、まさか…、今になって思いついた。もしかしたら母さんは便所の個室に潜んでいたんじゃないだろうか。私が来るのを待ち受けていたのだ。そして扉の隙間から覗いていたんだ、投げ文を拾うところを。便所から出てゆく私の後を付けたんだろう。私は行く手ばかりに注意を払っていた。まさか後ろから見られていたとはいままで思いもよらなかった。そうじゃないのかい、母さん。

どうだい、ここまで読んで思い出してくれたかい、母さん。たのむから白状してくれよ。恨んでなんかいないよ。真相を知らないままじゃあ終われないんだよ。僕は死んでも死にきれないじゃないか。