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小児科医のコラム72 知能指数

コラム72 知能指数

私は何十年ものあいだ自分の知能指数が150だと思っていました。確か小学校五年生の三学期だったと思います。授業の時間を使って知能検査が行われました。その結果が家庭に通知され、ある日、私は母から言われました、「お前は知能が150だからもっと頑張れ」と。つまり、これが本当だとすればものすごく頭が良いということです。それを聞いて悪い気はしないものの、自分としてはあまりピンときませんでした。

自分の知能を実感するどころか、それを打ち砕く悲しい事件が起こりました。中学校の理科で化学式を教わっていた時のことです。その先生は席順に生徒を指して質問に答えさせるやり方でした。当てられる順番が近づいてくると気が気ではありません。私の斜め後ろの席の女の子の番となりました。するとその子が私に小声でささやいて来たのです、「引間君、教えて」と。彼女は明るくて活発な性格でふだん私などは相手にもしません。それが今は気弱な顔で助けを求めています。実をいうと私は密かにその子に熱く思いを寄せていました。ここでいいところを見せれば仲良しになれるかもしれない。ところがそう思ったのもつかの間、私だって化学式なんてチンプンカンプンだったのです。どうしよう、困った。「分からない」と言ってしまえば彼女を突き放すことになる。それはかわいそうだ。だめもとでいいから何か言ってあげよう。もしそれが間違っていたら後で彼女から叱責されるだろう。まあそれでもいいじゃないか、絶望させるよりはましだ。私は責めを負う覚悟で、「××かなぁ」とあてずっぽうを言ってあげたのです。そしていよいよ彼女が当てられました。立ち上がって自信なさそうに答えるのが聞こえます。私は祈るような気持ちでした。しかし、次の瞬間、耳を疑いました。彼女が言ったのは私が教えたのとは違う答えです。分からないながらも自分で考えた答えを言ったのでした。とっさに究極の選択をしたのです、私の答えにするか自分のあてずっぽうにするか。その結果、私のは却下されたのでした。つまり私のことなどあまり信用してはいなかったのです。図らずも明らかになった彼女の本心に私は息を殺してじっとその場をやり過ごすしかありませんでした。そして、私の片思いは告白してもないのに彼女によって吹き飛ばされたのでした。ちょうど五十年前のことです。

高校に進学してからも私の頭脳が冴えたことはありませんでした。授業についていくだけでも四苦八苦です。そこで休日によく市立図書館に通って勉強しました。同じような学生さんや大人でいつも満席でした。見ているとかなりの人がリピーターです。だんだん顔を覚えるようになりました。その中に清楚で綺麗な女子高生が一人いることに気が付きました。どんな子だろう、たぶん真面目でいい子なんだろうなぁ、図書館に来るぐらいだから。そう思ってはみたものの、それ以上べつにどうこう考えもしませんでした。ちょっといいなと思っただけです。そりゃあ仲良くなれるに越したことはないけれど、そんなに図々しくもないし勇気もありませんでした。ところがです、ある日その彼女からお声がかかりました。数学の問題が分からないから、代わりに解いて教えてもらえないかというのです。それは問題集の中の一問、数列に関するものでした。急に言われたのでちょっとびっくり、でもまんざら悪い気はしません。私は承諾してやってみることにしました。うまくすれば友達くらいにはなれるかもしれない、そういう気持ちが当然のごとく湧き上がってきました。勇んで取り組んでみるとなるほど難しい問題です。あっているかどうかわからないながらも一応答えを出しました。彼女のところへ行って問題集の解答と照らし合わせてみると、残念ながら合ってはいません。どこかで間違えたのです。やり直してみると、その問題には落とし穴があってまんまとそこにはまっていたのでした。それでもなんとか正解にたどり着いて彼女に解き方を説明してあげることが出来ました。しかしまあ、一度間違ったのでちょっとバツが悪かったのは否めません。その後はというと、彼女とはそれっきりで終わりとなりました。何年か経った後にこのエピソードがふと頭に浮かびました。あの時なぜ見ず知らずの私などに声をかけてきたのだろう。もしかしてボーイフレンドが欲しかったんじゃないか。当時、私が住んでいた地域では公立高校は男女別学だったのです。異性と知り合うチャンスはほとんどありません。図書館で問題を教えてもらうというのであればいかにも健全で不自然さはありません。うまく考えたものです。だとしたら惜しいことしたなぁ、そう淡く思いました。しかし、考えていくうちにだんだんと疑惑が持ち上がってきました。もしかしたら私は試されていたのではないか。ボーイフレンドとしてふさわしいかどうか、学力でふるいにかけたのかもしれない。だから一癖ある問題を出してきたのだろう。私は一度でスマートに解くことができず、彼女のお眼鏡にはかなわなかったのだ。そう考えてみると、私がようやく導き出した答えを解説してあげていた時、彼女はどことなくよそよそしい態度だったように思えて来た。そのあと彼女から二度と声がかからなかったのも頷ける。もっと頭が良かったらなぁ、悔しく思い出されたのでした。

その後は大学入試、医師国家試験とクリアしたことはしましたが、その都度ギリギリの極限状態にまで追い込まれ、人一倍の苦労を要し、人よりもずっとスリルを味わいました。自分が高い知能だと感じたことはありません。どうしてだろう、私は知能テストが行われた時のことを思い返してみました。すると、ある記憶が鮮明によみがえって来ました。それは検査項目の一つ、迷路の課題です。解答用紙には簡単なものから順次複雑なものへと並んでいます。それを制限時間内にできるだけ多くこなすのです。しだいに難しくなってくると立ち往生する時間が長くなります。忌々しくて焦ってきます。どうにかならないか、私は試しに出口から入口に向かって鉛筆を辿らせてみることにしました。するとどうでしょう、あっけなく抜け出せます。次の迷路はもっと複雑ですが同じようにやると難なく通過できました。これはうまいやり方を見つけた、私はウハウハ状態で次々と難問をクリアしていったのです。よく考えてみれば当然です。迷路は入り口から進んできたものを迷い込ませるように袋小路が作られています。しかしそれは逆から侵入してきたものにとっては妨げになるどころか、かえって迷路を簡単にしてしまいます。私は難問を解きながら思いました、こんな問題まともにやったらとっても時間が足りないだろう、と。そしてさらにもう一つの考えが浮かびました、バレないようにしなくちゃいけない、と。なにも罪悪感からではありません。なんとなくそう思ったのです。もし、出口から入口に向けて鉛筆をなぞらせている途中で終了時間が来たらその瞬間に鉛筆を離さなければいけません。そうなると鉛筆の線は迷路の途中から始まっていて出口までつながっているのです。それはいかにも不自然です。入口から始めたのではないことが疑われてしまいます。そうならないように、私はあらかじめ眼だけで出口から入口までたどってみて、それができたら素早く鉛筆で線を書き込むようにしました。こうやって超難問までバレずに回答することができたのです。迷路の課題だけがずば抜けて高い得点だったのでしょう。これが私の知能を150にまでに押し上げたのです、間違いありません。以来何十年にもわたってその結果を信じていたのです。だから実生活で実感がわかなかったのも当然だったのでした。