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小児科医のコラム13 待機 その1

コラム13 待機 その1

医者になって二年目、山間部のとある総合病院に転勤した。私は病院の敷地内にある医師寮を借りた。通勤にはこれ以上ない近さである。歩いて一分もしないうちに正面玄関に着く。
私の部屋は二階のいちばん隅っこであった。廊下の窓から外を眺めると病棟の建物が見える。逆に、病棟からは私の部屋が見えるのだ。ということは、私が部屋にいるかどうか一目瞭然なのであった。
部屋の明かりがついているかどうか見ればよいのだから。
私は引っ越しの荷物を片付け、固定電話の移設も済ませた。布団を敷くとちょうど枕元の位置にインターホンが備え付けられてあった。病院直通とのことである。さらには、廊下の中央に病院の内線電話が設置されてあった。
何のことはない、私の部屋は病棟からいつも監視され、二重三重に呼び出す連絡手段が備わっていたのである。どっぷりと仕事に浸るにはもってこいの住環境であった。

小児科医は総勢7人であった。もちろん私が一番下っ端である。部長先生は全ての患者さんの最終的な責任を負う「主治医」であって、ほかの6人は主治医と一緒に担当する「受け持ち医」であった。 新たな年度がスタートするに当たり、呼び出し当番を決めることになった。夜間とか休日に救急外来や病棟から必要に応じて呼び出される当番、いわゆる「待機」のことである。これを部長先生以外の六人で分担するのである。部長先生はというと、重大事に於いては責任者として呼び出されることが多かった。そういう意味ではいつでも待機みたいなものだった。だから、残りの六人に当番が振り分けられた。私は土曜の昼から月曜の朝までを担当することになった。「より多くの経験が出来るから」と、部長先生がそう決めてくれた。

当時はまだ週休二日制ではなかった。土曜日の午前中も通常の診療を行って、昼から休みになるのである。私の場合、そのまま「待機」の当番が始まる。自室にいて呼ばれたら出てゆき、用が済めば戻る、その繰り返し。月曜の朝で待機は終了となるが、私はひきつづき通常の診療のため病院に出勤するのである。そして土曜まで勤務すると、また待機が始まる。毎週エンドレス状態であった。

これが下積みだと思った。誰でもどんな職業でも通る道だとも。おかげで、今週、先週、先々週…と、いろんな病気の患者さんを経験できた。しかし、何か月も続くとだんだんくたびれてくる。また来週、再来週も、そのまた先…いったいいつまで続くのか、気が腐ってくる。でも、自分から部長先生には言えない、当番を変えてくれとは。

夏が過ぎ、秋が来て、冬となったある日、小児科の医局でたまたま待機の当番の話になった、「今は、どうなっているのかね」と。どうやら部長先生は覚えていないらしい。一つ上の先輩が当番の割り振りを説明した。私が土日の休みなく待機していることを。「そうか、そうだったか。そりゃ可哀そうだなぁ」と、部長先生は完全に忘れていた。「じゃあ、持ち回りにするか」とおっしゃったのである。私はホッとして胸のつかえが下りてゆくのを感じた。私のエンドレス状態は八か月でエンドとなった。
この八か月でたくさんの病気を経験できたのだが、しかし、それよりも何よりも、臨床医として最も必要な忍耐力が養われたと思う。級友に聞くと私だけではない、皆同じような経験をしていた。何か月も自分のアパートに帰れなかった奴もいた。昔の研修医や若手の医師は、無理矢理に無理無体とも思えるようなやり方で鍛えられ、育てられていったのである。<