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34 「母のない子と子のない母と」(壺井栄著)を読んで

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コラム34 「母のない子と子のない母と」(壺井栄著)を読んで

「母のない子と子のない母と」、私が小学生時代にサンタさんからもらった本である。その本のタイトルを見て、私はガッカリしてしまった。何だかつまらなそうな本だと直感したのだ。「母のない子」って何。どうせ、母親のいない子どもはどれだけつらい思いをするかというような親のありがたみの話だろう。「子のない母」って何。どうせ、母親はどれほど子供のことを思っているのかというようなお涙ちょうだいの話だろう。結局は親を大切にしろと言いたいのだろう、そう思ったのであった。

そんなのは道徳の教科書だけで十分である。私は本棚にしまい込んだ。いつになっても読む気になどなれない。いつの間にかその本はどこかにいってしまった。たぶん日に焼けて古ぼけて捨てたのだ。本自体には罪はない。しかし、そんな本を読ませようとするサンタの魂胆が気に入らなかった。その後、私はこの本を思い出すと可哀想になった。読んでもらうために生まれて来たのに、読まれることもなく捨てられてしまったのだから。そして、あの本は実際にはどんな本だったのだろうか、時々気にはなった。だけど、あらためて読もうとは思わなかった。

ところが最近になって、このまま読まずにいたら私は読まないまま死んでしまう、そう思った。そのとたん読まずにはいられなくなってしまった。心残りだ。平成二十四年九月八日、私は朝一番に群馬県立図書館に行った。蔵書を機械で調べると何冊もが検索された。それぞれ出版された年や出版社が違っている。私は新しいのではなく、昭和四十二年に発行された古い本を選んだ。過去に私が持っていたものと同じかもしれないと思ったからだ。だとすれば、どんなに懐かしいことであろうか。すでに地下の書庫に仕舞われてあるため、わざわざ取り出してもうことにした。出されてきた本は残念ながら私が持っていたものとは違っていた。しかし、黄ばんだ紙に古い印刷が年代を感じさせた。それを借りて来て早速読み始めた。その日の内に読み終えたかった。そして午後十一時三十九分、やっと読み終えることが出来た。サンタから本をもらってすでに四十五年が経過していた。

内容は私が勝手に決めつけていたものとは全然違っていた。説教や教訓じみたものではない。そこに書かれてあったのは、戦後の昭和二十年代に瀬戸内海の小豆島で暮らす人々の姿であった。戦争で親を失った子どもや、子どもを戦争に取られて亡くした親が多く登場してくる。しかし、そういう登場人物が自分たちの境遇を嘆き悲しんだり、恨んだりする様子はあまり描かれてはいない。逆に、みんなが支え合って前向きに生きていこうとする暮らしぶりが語られている。子どもはみんなで遊んだり、お祭りに行ったり、家の手伝いをするが、子ども同士でも協力し助け合っているのであった。そうしなければ生きていけない時代だった。今ではとうてい考えられないほど貧しい時代、食料のない時代だった。戦争が影を落としていたのである。

この本の主なテーマは「反戦」ということだ。そして、人は困難に際しても助け合って生きてゆけるという「希望」も示そうとしたのではないかと思われる。それを直接的な表現を用いてではなく、人々の生活を描くことで間接的に訴えようとしたのだ。読む人の無意識にまで届くようにと思ったからであろう。今読めば作者の意図が伝わってくる気がする。しかし、これを子どもの時に読まされたらどうであっただろうか。そんな時代があったのか、ぐらいにしか思わなかったかもしれない。分量もかなりある本だから、小学生の私は途中でつまらなくなり最後まで読むこともなかっただろう。だとすれば、今まで読まずにいたから今になって読むことが出来たのだ。つまり、この本は大人が読むべき本なのだ。

いまの日本はこの本と同じ状況にある。この本に描かれた戦争の影は、そっくりそのまま「東日本大震災と原発事故による放射性物質汚染」に置き換えて考えることが出来る。戦争を原発に置き換えることが出来る。日本は憲法で戦争を放棄したからこそ平和でいられる。脱原発してこそ安心していられると思うのは、庶民の自然な感覚であろう。この本は発刊されて五十年以上たっているが、そのメッセージは決して古くなってはいない。今だからこそ、もう一度大人が読んでみる本だと思う。

ところで、サンタさんはこの本を読んだであろうか。多分読んではいないだろう。読む暇なんかないはずだ、毎日が忙しくて。だけど、サンタさんは実際にこの本を選んで僕にプレゼントしてくれたのだ。どうしてだか分かるような気がする。資料によると、作者はこの本で芸術選奨文部大臣賞を受けることになったそうなのである。その評判がサンタの目に留まったのだろう。本のタイトルがいかにも教育的な内容であることを予感させる。だから、きっといい本にちがいないと思ったのだろう。クリスマスプレゼントはオモチャの代わりにこの本を贈って、子どもに読ませたいと思ったのだ。きっとそうなのだ。そうでしょ、そうだよね、読んで選んだわけではないでしょ、おかあさん。じゃない、サンタさん。

サンタさんへ。この本、もらった時は憤慨したけど、四十五年たってから読んだよ。今になって読んだから、おもしろかったよ。