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小児科医のコラム40 オヤジの手紙

コラム40 オヤジの手紙

私に最初の子どもが出来た時、将来はヨーロッパアルプスの山岳ガイドになってもらいたいと思った。親の希望としては、とにかく体が丈夫に育ってほしかったし、それにできれば知的で精神力があって、しかも自然を愛して人にも優しい、そんな風に育って欲しいと思ったのだ。ある時テレビを見たらヨーロッパの山岳ガイドの特集をやっていて、登場したフランス人の青年が私の描いていたイメージにぴったりだったのである。山岳ガイドは常に体を鍛錬し技術を磨かなければならない。皆があこがれる職業だけれどそう簡単になれるものではない。これだと思った。それに、もしもこれになれたら私も山を案内してもらえる。ヨーロッパアルプスの絶景を見てまわるのが私の老後の夢なのだ。だからまさに一石二鳥である。しかし、そんな突拍子もない望みは人から笑われるに決まっている。胸の中にしまっておくことにした。

子どもだって親の夢に付き合わされたんじゃあいい迷惑だ。子どもには子どもの考えがある。親の夢を一方的に押し付けるのはやめようと思った。だけど、勝手に夢を描かせてもらうだけならいいだろう。あらためて考え直してみたが、山岳ガイド以外にこれといって具体的には思い浮かばなかった。もっとも、我が家には守らなければならない伝統もないし受け継ぐ家業もない。だから何でも自分の好きなことをやってもらって構わないのである。その代わりに、こうと決めたものはとことんめいっぱい取り組んで悔いのないようにしてもらいたい。親としてはそれだけで十分だ。それでもって一芸に秀でた人間になれたらそれに越したことはない。もし人の役に立つのなら何も言うことはない。私は子どもがある程度大きくなったらそう宣言しようと思った。

一方、私はなんとなく自分の子どもたちがみんな大学に進学するものと勝手に決め付けてしまっていた。そして、その時には必ず家から出て行ってもらおうと思ったのである。それはもしかすると、自分と同じことを子どもにもさせたいと考えたからかも知れない。もちろんそれ以外の進路があるのは分かっていたのだが、あまり実感がわかなかった。というわけで、私としては子どもが大学に進学したあかつきには是非とも一人暮らしをさせたいと考えたのである。もしそうなれば否応なく炊事、洗濯、掃除といった日常の家事の苦労を味わうことになる。それまで育ててくれた親の有難さが身に沁みてわかるというものである。さらに、いずれ家庭を持った時に配偶者と家事を素直に分担することが出来るし、家事をしてくれる配偶者に対して率直に感謝もするだろう、そう期待したのである。だからこそ、子どもには自宅から通学できないような遠い大学を選んでもらわなければならない。私はそうなるように密かに祈りながら学資保険に加入したのである。

結局、子ども全員が進学した。各々が自分で選んで決めた大学である。そしてそれはみんな遠い大学であった。一人また一人と家を出て行った。私の願いどおりになったのである。加入する時には十八年間という気の遠くなるような学資保険もいつのまにか満期になった。

子どもたちはそれぞれ自分の好きな分野を専攻した。親と同じ医者になろうとする者はいなかった。だからいずれはどこかの企業に勤めるのだろう。一人暮らしを続けながら社会人になるのだ。そして結婚して家庭を持つようになるのかもしれない。ということは、大学を卒業したからといって、就職したからといって、結婚したからといって子どもが我が家に舞い戻ってくることはまず考えられない。すなわち高校を卒業して家を出て行ってしまえば、それで家族として一緒に暮らすことは終わりなのである。だからその時こそが親子の別れの時、子は親から離れて行くが親も子どもから離れなければならない。

私は別れの時を迎えたら子どもに何かエールを送ってやりたいと思っていた。でも、それを話し言葉でうまく伝えることが出来るか自信がなかった。事前に手紙を書いて渡す方がいいだろう。つまり「オヤジの手紙」である。説教じみたことや親の希望などは書かないことにしよう。反発されるのが関の山だ。子どもを縛り付けることにもなりかねない。かといってどんな言葉を送ってやったらいいか考えあぐねた。そうしているうちに上の二人の子どもは次々とその時を迎えてさっさと家を出て行ってしまった。書きそびれてしまったのである。

ある年の三月三十一日、私はいつものように度数の高い日本酒で晩酌した。夜の十一時を過ぎて随分と酔いが回った。あと数十分で日付が変わる。明日という日になれば末っ子が進学のために家を出てゆくのだ。つまり親子の別れの日である。上の子二人と同じようにこのまま末っ子にもオヤジの手紙を書いてやらなかったらもう二度と書く機会はない。それは心残りである。それなら今から書くしかないのか。そうだよ、絶対に書かなきゃダメだ。私は酔っぱらった頭で作文を開始した。その場で思い浮かんだことをキーボードに打ち込んでいった。せっかくだから色々と書いてやりたかったが、アルコールで麻痺した頭にはもう思い浮かぶことはなくなった。体裁を整えてプリントアウトした。以下の文がそのおおよその原文である。


○○へ

今日という日は、もちろん○○にとってもだろうが、お父さんとお母さんにとっては人生の大きな節目の日なのである。子どもたちと生活を共にしてきた最後の日である。これから先、自分の子どもと暮らすことはよほどのことがない限り、もうないのである。つまり、親離れの日でもあるが、子離れの日でもあるのだ。もう終わってしまったのかというさびしい気がする。

節目と言うことで、お父さんは○○に少し文章を書いてみた。
●お父さんからのお願い
お父さんに万が一の事があったら、きょうだいでお母さんのことをサポートしてもらいたいということ。
(そんなこと言わずもがなであろうが、でも、お父さんも一度は言っておきたかったのだ。)
●お父さんの勝手な思い
 なるべく知的レベルの高い人になった方がいいと思う。そして、そういう人の集団に所属するのがいいと思う。 (社会に出れば○○も一人の労働者になるのである。残念ながら我が家は資産家ではないのだから。つまり労働者となって、自力で勝負するしかないのだ。勝負する元手は、自分の体力と知力と精神力ということになる。だから、四年という短い期間に出来るだけ、知的レベルを上げておいた方がいいと思ったのだ。力のある労働者になれと言いたいのだ。)
 なるべくマナーを守る(外国の人に見られても恥ずかしくない様な)人になっていた方がいいと思う。そして、そういう人の集団に属したり、付き合ったりするのがいいと思う。
(社会では、えてして力のある者の道理が通るのである。それがどんなに理不尽であっても。力のない労働者は、生活のためにやむなく、力のある経営者・資本家からの耐えがたい要求にこたえなければならない。できればそんなことはしたくないではないか。しかし、世の中競争が激しい。ルールを守っている奴は、ルールを守らない奴に出し抜かれることは世の中で大いにあるのだ。要するに、社会では悪い奴ほど儲かりやすい仕組みになっているところがたくさんあるのだ。一介の労働者がそれに立ち向かうのは容易ではない。医者とて同じだ。お父さんもいまだに悪戦苦闘中である。会社の中では利益のためなら個人の意見・現場の意見・正論はかき消されてしまうこともあるだろう。だから、自分も、自分の属する組織も、仲間も、ルールを守るような環境にいることはとても大事だと思う。)

お金の心配は無用である。できる限りなんとかしようじゃないか。○○が楽しむため、遊ぶため、学ぶためのお金はお父さんにとっては有望な投資だと思っている。だから遠慮しなくても良いのだ。お父さんがしてやれるのはもうそれくらいしかない。その代わり精一杯やってくれ。からだに気をつけて。


翌朝、封筒に入れたのを家内から渡してもらうことにした。そして、「後で読むように」と言づけしてもらった。電車の時間が迫ってきていよいよ家を出てゆく段になった。私はあいにくトイレの「大」の方でお取り込み中であった。見送ってやることは出来ない。子どもがトイレのドアの外まであいさつに来た。「じゃあ父さん、行って来るよ。手紙読んだよ」