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小児科医のコラム50 献血

コラム50 献血

献血は人の善意である。私は医者だから患者さんに輸血したり血液製剤を投与してきた。つまり人の善意を使う立場なのだ。そう思ったら何だか負い目を感じた。とはいえ患者さんのために必要で使うのだから、別段悪いことをしているわけではない。でも人の善意に頼って仕事しているのは、やっぱり負い目を感じる。それなら自分も献血すればいいだけのことだ。そんな簡単なことにやっと気がついた。医者だって献血していいのである。

私はどうも医者という職業に対して偏ったイメージしか持っていなかったのだ、献血された血液を使うだけの人間という。そういう自分に気がついた私は、世間一般の人はどうだろうかと考えてみた。というのも、とかく医者というと特別視されるように常々感じていたからなのだ。医者も献血するとはおよそイメージされてはいないのではないか、じっさい自分がそうだった。もしそうだとしたら、自分が献血することでちょっぴりでも医者への見かたが変えられればいいと思ったのである。つまり三段論法でいうとこういうことになる。私は医者である。私もボランティアで献血をする。つまり、医者にもボランティア精神はある、献血だってする。私はみんなにもそう思ってもらいたいのだ。しかし、だからといって献血したことをなにも大声で自慢してまわろうというのではない。機会があれば自分の知り合いや同僚などに知ってもらうのだ。少しでも感心して賛同する者が出てくれればいいと思ったのである。

さっそく実行した。献血ルームに初めて行ってすぐに感じたことがある。看護師さんが優しくしてくれるのだ。当たり前のようだが私にとっては意外な驚きだった。ここで決して誤解してもらいたくないのだが、いつも一緒に仕事している看護師さんがオッカナイというのではない。職場では看護師さんと私は同僚だから対等な立場だ。ところが献血ルームでは私はわざわざ献血に来てくれた人である。だから看護師さんが大事に扱ってくれるのだ。自分の立場がかわっただけなのを、私は急に看護師さんが様変わりしたように感じたのである。「痛くないですか」などといちいち気遣ってくれる。悪い気はしない。お客様になったような気分だ。「気分は如何ですか」なんて言われるとつい嬉しくなっちゃうのである。

そして一か月後、また献血に行った。それで新たに分かったことがある。実にほっと安堵することが出来たのだ。一か月間無事に過ごせたという実感。どういうことかというと、仕事場である病院にはいつ重症患者が飛び込んでくるか分からない。いつも最善を尽くさなければならない。治らない病気もいっぱいある。それを宣告しなければならない。基本的には緊張の連続なのだ。だけど献血ルームにいる間は解放される。私はお客様なのだ。それが有難かった。ここに来られること自体が幸せに感じられた。患者の容態が悪化すればとても来ることなどできないだろうし、来ようとも思わない。私にはこの実感を得るのが献血に来る目的の一つになっていった。

繰り返し通ううちに私が医者だということがバレてしまった。受付する用紙には勤務先の欄があってそこに病院の名前を書いておいた。しかしそれだけでは受付の人は私がまさか医師とは思わずにコメディカルか事務の職員かと考えていたようである。ところがある時、以前お世話になった先輩医師が献血希望者の検診していた。検診室でしばらくぶりのご対面だった。私が「おひさしぶりです」と言うと、先輩は「先生も献血されるんかね、えらいねえ、ごくろうさま」と言って、お互いに近況報告をした。検診医が足りなくて駆り出されているとのことであった。思わぬ形で身分が判明してしまった。

私は献血ルームではできれば自分の職業を隠しておきたかった。献血に来たのが医者とあらばスタッフはやりにくいに違いない。これから針を刺す相手が医者かと思うと看護師さんだって緊張するだろう。だから今までは説明をどうのこうのと言われても知らない様な素振りで聞いていればよかったのだが、これからはそうはいかなくなってしまった。看護師さんを余計に緊張させることの無いように、変に気を使わせたりすることの無いように振る舞わなければならない。私には一層の演技力が必要となったのである。

献血ルームに何回も通うようになってから分かったことがある。献血に来ている人の中でかなり多くの人が受付の担当者と顔見知りなのだ。今回で何十回になったとか、誰々は何百回になったとか馴れ馴れしく話している。人助けという実益を兼ねた趣味なんて他にはない。こういう人たちが血液の安定供給にかなり貢献しているのだ。日本赤十字社も「献血サポーター」という登録制度を作っているくらいだ。

私が折に触れて献血してきたことを話すのは顔見知りの人に対してである。医者にも善意やボランティア精神があることを知ってもらいたいからなのだ。だけど、何回献血したかなどは聞かれない限り言わないようにしている。そんなことは自己満足に留めておくのがいいのだ。自慢話みたいになってしまうではないか。それに、世の中には何らかの事情で献血したくてもできない人もいるのだから。

年間十回を目標に掲げた。献血の間隔は種類と男女の性別で細かく規定されているが、成分献血ならたったの二週間である。私は月に一回くらいは献血ルームに行けそうな気がしていた。という訳で、私はもっぱら成分献血で目標達成を目指すことにした。それに、たいがい受付で「成分でいいですか」と聞いてくるのである。ごくまれに全血での献血を求められることもある。自分と同じ血液型の血液がよほどひっ迫しているときだ。どこかの病院で血液を大量に必要とする重症患者が出たのだ。もちろんそういうときは全血で行った。ただ全血で四〇〇mlの献血となると、男性の場合は次まで十二週間ものあいだ献血ができないことになっている。それはちょっと待ち遠しい気がした。

適当に決めた目標だったのだが、それでも達成できないのは口惜しい。いつの間にかそれがノルマと化した。通算の回数が増えれば増えるほど自己満足が得られる。苦節何年もかかって相当な回数になった。これまでに何回も表彰を受けた。そしてこれからはさらに上の回数を目指そうと考えていた矢先、頸椎椎間板ヘルニアが再発してしまった。病院で大量の痛み止めと神経の薬を処方されたのである。痛み止めを飲んでいると献血はできない。血小板の機能に影響が出るのだ。現在、私は痛み止めを連日常用する身である。残念だ。寂しい。早いこと病気が治ってくれないだろうか。何とか早く薬が止められて、行けるようになりたい。また行きたいのだ。もはや今となっては人のためというよりも自分のために。