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小児科の診察室のエピソード51 献血会場

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コラム51 献血会場

私は休みの日によく献血に行った。献血ルームで受付するとたいてい担当者から「成分でいいですか」と聞かれる。成分献血には遠心分離機を内蔵した特殊な機械が必要で、それが設置してある献血ルームでしか行えない。ひとり行うのにも時間がかかる。つまりわざわざ献血ルームにやってくるような積極的な人で、しかも時間の余裕がないとなかなかできないのである。一方、移動献血車による献血会場ではもっぱら全血献血である。全血なら採血するだけである。特殊な機械もいらないし短時間で済む。だからぐうぜん通りかかった人にでもやってもらえるのである。

何かの用事で市役所に行った時のことである。移動献血車が横付けしてあった。ホールに入って行くと、折りたたみの机が並べられて献血の受付が行われていた。問診票の記入、医師による検診、看護師による採血と血液検査を流れ作業で行うのである。それが済むと建物の外に歩いて行って献血車で採血である。その後もう一度受付に戻って献血カードや記念の粗品などをもらって終わりになる。

一人の若そうな女性が目に飛び込んで来た。採血を終えて戻って来た所だろう。明らかに様子がおかしい。顔色が真っ青なのだ。怖いくらいに血の気がないのである。表情もさえない。おそらく貧血であろう。でも、献血して血が薄くなったからではない。いくらなんでも全身に影響が出るほどの採血量ではない。多分この女性は採血されてゆく血液を見て気持ちが悪くなってしまったのだろう。自律神経の反射で全身の血管が拡張したのだ。その結果、頭にまでまわる血液が少なくなってしまった。脳貧血だ。

受付の所まで歩いてきた彼女の異変に担当者も気が付いた。医者も看護師も浮き立った。すぐに担架が用意された。そしてその上に崩れ落ちるように横たわった。仰向きのままぐったりしている。真っ白い横顔が見える。目を閉じている。ピクリとも動かない。意識がないのか。人が取り囲んだ。たまたま居合わせた私も医者のはしくれである。緊急事態にでもなれば出て行って手を貸さなければならないのだろう。だけど、すぐに良くなるのは目に見えている。横になって休めばすぐに頭に血がまわる。学校の朝礼で倒れる子どもだって同じだ。だったら何も私がしゃしゃり出てゆく必要はない。変に出ていっても、お呼びじゃなかったとなればバツが悪い。私は観葉植物の陰に身を隠してとりあえず事態の推移を見ることした。

葉っぱの隙間からのぞき見た。のぞき見している私自身が周りから不審人物に見られてはこまる。怪しまれないように私は自然な格好で木のそばに立っている風を装って、時々横目で視線を送った。私にとって人を見張るという作業は不慣れなためか、非常に難しく感じられた。おいそれと「太陽にほえろ」や「西部警察」のようには出来ないものである。しかしながら、彼女の様子はというと意外にもなかなか回復しない。まだなのかなあ〜と待っているうちに事態は急変した。全身性のけいれんがまき起こってきたのである。まわりもそうだが私も驚いた。よほど脳貧血がひどかったのだろう。突如として体全体がぴくつき始めたのだ。それが反復しながら大きくなってゆく。間代性けいれんだ。担架の上で体がガクン、ガクンとのたうっている。緊急事態だ。こうなると見ている人には不吉な予感を与える。命の危険が迫るような恐怖感である。

検診医も看護師も心中穏やかではないであろう。いくら医療従事者といえども事がけいれんとなれば誰だって慌てるのだ。いよいよ私の出番かと思った。自分で言うのもおこがましいが、私はけいれんの専門家なのである。もっとも得意とする分野なのだ。とは言っても、私も小児科医になって間もない頃は子どものけいれんは苦手だった。症状を理解するのが難しいし、それにもかかわらず素早い診断と処置が求められる。正直に白状すると、そういう患者を診るのは嫌だったのである。しかしある時気が付いた。このまま苦手意識を持っていてはけいれんの患者が来るたびに困り続けるのだ。この先何十年と小児科医として生きていくのに不自由をきたすと思った。敬遠してばかりいたらいつまでたっても苦手意識から逃れられない。だったらいっその事、けいれんのことを詳しく学んで自分の得意分野にしてしまえばいい。学ぶのにはかなり苦難を強いられるではあろうけれども、それは一時的だ。それを通り越せばけいれんの怖さから逃れられるのである。私は自らすすんで子供のけいれんやてんかんの診療を行う専門外来を受け持たせてもらうことにしたのであった。

手を付けてみたのは良いものの、誰も教えてくれる人はいない。みんなが苦手だったのだ。教科書を読んでみてもすぐにチンプンカンプンである。分かりにくくてとっかかりに乏しい。それでみんなが挫折して苦手になってしまうのである。だけど私はあきらめるわけにはいかなかった。自分が言い出した以上引くに引けない。代わってくれる人もいない。つまり背水の陣を敷いたのだ。苦し紛れに教科書を繰り返し読んだ。前任者のカルテの記録を丹念に見かえした。古文や漢文を読み解くようなものだった。かんしゃくを起こしそうになるのを我慢して続けているうちに、今まで分からなかったことが少しずつ分かるようになってきた。分からなければ分からなかったものほど、ちょっとでも分かるようになるともの凄く嬉しいものである。嬉しいからまた読む。読むとまた分かる。苦しみがだんだん面白さに代わって行った。

それで沢山の患者さんを診てきた。場数を踏んだ。嫌やで苦手だったものが、好きとは言わないまでも得意なものになった。だから、けいれんの患者さんが運ばれて来るとなったら内心闘志を燃やすのである。さらにてんかんの場合、的確に診断して患者さんにあった治療をやれば治る場合もたくさんある。医者としての技量が試されるのだ。ということは、逆に言えばやりがいでもある。自分の力で患者さんが治るという臨床医としての一番の喜びだ。私はそれに味を占めて自分の専門分野にしてしまったのである。

私は葉っぱの影で足踏みするようであった。今か今かと出て行くタイミングを計ったのである。しかし、原因はどう考えても脳貧血だ。じきに回復するに違いない。けいれんは自然に止まるはずである。となれば何も私が出る幕はない。どうしようどうしようと思いながら彼女を見ると、ぴくつきとぴくつきの間隔がだんだん延びてきている。終わりかけてきた証拠だ。もう少しで止まるだろう。それでも検診医がテンパってしまったら救急車を呼ぶ騒動になるかもしれない。その時は、出て行って手を貸してやればいい。案の定、けいれんは最後に大きくぴくついて止まった。その後はぐったりしたままである。

やれやれ、私が出て行くまでもなかった。彼女は気が付いてきたようである。起き上がろうとしているが、押しとどめられている。しばらく安静にしてからの方が無難だろう。私は自分の用事を済ませて市役所を出た。

移動献血車での献血はもっぱら全血採血である。二百mlか四百mlを選択できる。彼女がどちらだったか分からないが、基準に合った採血だから全身の血液量が不足するような貧血を起こすことはない。どう考えても脳貧血なのだ。強い情動によって血管迷走神経反射が起こり、それで脳に循環する血液が低下したのだ。これで意識を失うことは別に珍しいことではない。失神である。でも大抵はすぐに回復するのだ。しかし、後で調べてみると数分つづくこともあると出ていた。それは知らなかった。そして、失神の最中に「けいれんのような動きをすることがある」とか、「間代性運動がおこる」と記されていた。私が見たのはまさにこれだ。けいれんまで起こすなんて思いもよらなかった。貴重な経験になった。今後の参考にしよう。

ところで、これは脳貧血の逸話である。決して献血がこわいものだと取り違えてほしくはない。滅多にない事がたまたま献血会場でみられただけのことである。それを誤解されては困る。献血は安全なのである。現に私は百回以上もやってきた。つまり、医者である私が身を持って実証しているという訳である。そして医師としても、また献血フリークの一員としても、より多くの方々に献血してもらいたいと常々思っているのである。
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