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小児科医のコラム52 救急車

コラム52 救急車

私は救急車に乗るのが好きである。とは言っても患者としてではない。どう考えたって患者として救急車に乗りたがる人などいないだろう。私は医者である。仕事の必要性から救急車に乗る機会がたびたびあった。患者さんの搬送に付き添うのである。患者さんの容態が悪化して自分の手元には置いておけなくなった場合、より高度な医療機関に転院搬送するのだ。あるいは、赤ちゃん専用の救急車で生まれたての低出生体重児などを引き受けるために迎えに行ったこともある。誤解しないでもらいたいのだが、このような緊急事態のことを不謹慎にも好きだと言っているのではない。いずれの場合であっても私は毎回感動させられるからなのである。時には目がうるうるしそうになることだってあるのだ。

緊急車両だから当然サイレンを鳴らしながら走る。私は後部座席で患者さんの様子をみたり必要な処置を施すのである。運転席と助手席の隙間からは進行方向が見える。車列が右と左にサーッと別れて避けてくれる。道の真ん中が一直線にあくのである。そこを救急車が疾走して行く。進めば進むほどに行く手の道が次々にあいて行く。避けてくれた車のドライバーはサイレンの音で緊張しているに違いない。どんな緊急事態なのか、命が危険な場合だってあるかもしれないのだ。サイレンが怖く感じられのだ。決して自分が邪魔してはいけないと思っているだろう。一刻も早く通れるようにとみんな身をひそめるようにじっと避けてくれているのだ。救急車に乗っている私にはそれがよく伝わってくる。私もドライバーの一人である。それに、物の見事に道があいて行くのであるから。私はモーゼの「葦の海の奇跡」を思い起こすのである。モーゼが海に向かって手を差し伸べると海が真っ二つに分かれて陸地が現れたという聖書の有名なエピソード。映画「十戒」のクライマックスシーンにもなった。私は、そんなドライバーの心遣いについ感動してしまうのだ。

救急車のリアウインドウは大部分が擦りガラスになっていて、後方は見ることは出来ない。やたらと中が見られないためだ。でも、上の方の一部分は透けているので、顔を近づけて覗くと後方を見ることが出来る。救急車が走り去るのを追うようにして、止まっていた車が再び動き出して車線に戻っている。空いていたスペースが次々に閉じられてゆくのだ。まるで巨大なジッパーを救急車が閉めてゆくように感じられる。ドライバーにしてみれば無事に救急車が通り過ぎてほっとしていることだろう。私は『みんな、ありがとう』と念ずるのである。

東京の病院まで遠路はるばる患者さんを搬送したこともあった。高速道路を下りたら一般道は渋滞である。複数の車線があるのに車がびっしり並んでいる。一般車両が避けるスペースもなければ避ける動作さえも出来ない。救急車も立往生になった。いくらサイレンを鳴らしても無力である。すぐそばでサイレンを鳴し続けられたら近くのドライバーは気が気ではないだろう。どんな緊急事態の救急車かもわからないのだから。それを自分が妨げているのである。サイレンがいきり立っているように聞こえるんじゃないだろうか。ドライバーは針のムシロにすわる思いであろう。

やがて原付バイクが車の間をすり抜けて来て、救急車の前に割り込んだ。いくら渋滞だからとはいっても救急車の前に割り込むとは不届きな奴と思ったら、何と救急車の露払いを始めたのである。ゆっくり動き始めた車列の隙間に分けいって、右と左に道を開けるように手振で指示を出している。それによっていち早く車が脇に寄って通過するスペースが出来て行った。そうやって先導されながら救急車は進みだしたのである。バイクはこちらの様子をミラーで窺っている。曲がり角に来て救急車がウインカーを出せば、先行するバイクも同じ方向にウインカーを出して曲がってゆくのである。その先も先導を続けようというのだ。どうやら目的の病院まで送り届けようというのかもしれない。

道が空いてきた。渋滞を通り抜けたようである。一般車両はすぐに避けるようになって来た。そうなったら救急車はスピードアップできる。バイクの先導はいらなくなった。かえって邪魔になるかもしれない。ライダーもいち早くそれを察したのだろう、いつの間にかいなくなってしまった。こんな機転の利いたことしてくれるバイクもいるんだと、救急隊員ともども感心させられたのである。ちょっと思い付いたからといって出来る行為ではない。相当手馴れていたように思える。もしかしたらあのバイクは機会あるごとに同じことをやっていたのかもしれない。

おかげで無事に目的の病院に到着することができた。私は患者さんを担当の医師に受け渡して申し送りをした。今度はもと来た道を引き返すのである。患者さんを乗せていないからもうサイレンは鳴らさないのだ。一般車両と同じように交通ルールに従って移動するのである。私は何気なく擦りガラスの上の隙間から車外を見た。見覚えのあるバイクが走っているじゃないか。さっきのバイクだ。偶然だろうか。それともずっと見守ってくれていたのだろうか。つかず離れず走ってこちらの様子を窺っているようである。しばらく並走したあとバイクの方から道を曲がってどこかに行ってしまった。緊急事態ではなくなったのを確かめたのだろう。私は心の中で『ありがとう』と礼を言った。そしてそのバイクを名残り惜しく思った。

私の家内が自転車で転んだことがあった。自宅近くの路上でバランスを失って倒れ、自転車と縁石の間に足を挟んだのである。異様に痛がっていて動かすこともままならない。見たところ出血もしていないが内部で骨折したのに間違いない。私は救急車を呼んだ。やがて遠くから救急車のサイレンの音がきこえてきた。だんだん近づいてくる。私は家内の様子が心配なのと、救急隊員の手を煩わせることになってしまったこと、また世間をサイレンで騒がせてしまったことで申し訳ないという気持ちが交錯した。救急車を呼んだ患者さんにはそういう後ろめたい心理があると、医師としての今までの経験からうすうす感じてはいた。それが今度は自分が救急車を呼ぶ側になってみてまざまざと分かった。救急車を呼ぶっていうのは大変なことなのである。

家内を収容した救急車に家族として私も付き添いで同乗した。救急隊員の方が無線で消防署に状況を報告している。これから収容先を探さなければならないのだ。隊員から聞かれた、「これまでどこかの整形外科で診てもらったことはありますか」と。かかったことのある所なら、カルテがあって過去の病歴が分かるので望ましいのだ。しかし、この私でさえも舞い上がってしまって思い浮かばないのである。とっさに「ありません」と答えると、「どこか希望のところはありますか」と聞くのである。希望と言ったってそんな選り好みなんか慎むべきであろう。希望にそって病院を探すなんて余計な手間をかけていいはずはない。本来、受け入れてくれるところがあればどこでもいいのだ。私も医療従事者であるからして当然そう思ったのである。

どこでも結構ですと答えると、救急隊員は無線で消防署、病院とで連絡を取り合っている。聞いているとなかなか収容先が決まらないようである。病院にもいろいろ事情があるのだ。救急車は大通りから横の道に入ってサイレンを止めて停車してしまった。無線連絡が繰り返される。十五分ほどであろうか、足止めを食った後に病院が見つかり再びサイレンを鳴らして搬送が再開された。病院が決まらないと患者は不安である。身をもって体験した。それでも家内の場合は命に別状はなかったからまだいい方である。本当に緊急性の高い場合だったら、矢面に立たされた救急隊員は命の板挟みにあって本当に辛いんじゃないかと察せられる。だから私は、真剣に無線連絡してくれていた救急隊員の後姿に感動してしまったのである。

というわけで、私は一般の方よりも数多く救急車に乗ってきた。もしかしたら他の医師に比べてもずっと多く乗ったと思う。そしてその都度、人の好意を感じてきた。だから私は救急車に乗るのが好きなのである。であるからして、私が病院の救急外来で救急車を受け入れる側に立った時には、救急隊員にはひとこと声をかけようと思っている、「お世話様です。ご苦労様でした」と。そして申し訳なさそうにしている患者さんには「大変でしたね、救急車で来れて良かったですね」と。