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小児科医のコラム53 もてない理由 その一

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コラム53 もてない理由 その一

私は著しい胴長短足である。高校生の時からずっとコンプレックスであった。すなわち、自分がもてないのはこのためなのだと、そう確信してきた。しかしながら、こんな私でも結婚することが出来たのである。運がよかった。幸いだと思っている。たぶん私の家内はそんなこと気にしない価値観の持ち主だったのだろう。ところがである、最近それ以外に重大な理由があることが判明した。

私は学生時代を雪国で過ごした。冬場に愛用した防寒着はカストロコートである。別名「ドカジャン」だ。土方が着るジャンパーだから略してドカジャンというのだそうである。ビートたけしが鬼瓦権造のキャラクターで着ていたやつだ。実家に帰ったときにおふくろが、「これ着るかい」といって出してきた。新品である。裏がアクリルのボアになっていて暖かそうだ。ちょっと見た目が気にはなったが、誰も着ないんじゃもったいないと思ってもらったのだ。

いざ冬になって着てみたら、意外にも着心地がいいのである。考えてみれば作業着なのだから当然かもしれない。袖口はジャージ仕様の二重構造である。腰ひももついている。風が入らないですむのだ。しかし何と言ってもありがたいのは気安く着られることであった。雨、雪、泥水、汚れてもかまわない。だから冬場の普段着となった。すぐに体に馴染んだ。使い込んでくるとナイロンの表地に汚れがしみ込んで黒っぽくなり、さらに擦れやすい所はテカテカになった。言うなれば、風格が出て来たのである。やっぱり作業服というのは真新しいものよりは少しヨレて汚れていた方が自然だし、その方が見栄えがするもんだと、いいように考えたのだった。

そして冬に愛用して履いたのはゴム長である。これだとスノーブーツと違って深い雪でも大丈夫だ。きっかけは昭和五十六年に北陸地方を襲った豪雪である。数十センチの積雪が連日続いた。前の日に降った雪の上にまた雪が積もる。しかも何十センチも。融ける暇がないのだ。だから毎日雪かきしなければならない。そうしていないと後からでは取り返すことは非常に困難なのだ。休む間がない。だんだん疲弊してくる。そこが、たまに降る雪とは大違いであった。必然的に履くのはゴム長となった。

雪かき用のシャベルを近くのホームセンターで購入した。先端の刃が角型のシャベルである。剣先シャベルではだめだ。雪を根こそぎに平たくすくうことが出来ない。また、足をかけて体重が乗せられるようになっていないとだめである。道路では圧雪されて分厚い氷と化している。体重で割らないとすくえないのだ。だから車で外出する際には忘れずにトランクに入れて携行した。たとえ車がスタックしても、これで丹念に掘り出せば抜け出ることができるのだ。

スキー用の手袋は持っていた。合成皮革を防水加工したものだ。四〜五千円はしたと思う。当時の私にとってはかなりの出費であった。それで雪かきをした。そしたらじきに水が浸み込んで来てしまった。すぐには乾かない。それで困った。雪かきは頻繁にしなければならない。濡れて冷たくなった手袋を使うのは本当に嫌なものである。やむなく軍手を使ってみたがすぐに濡れた。とても長時間はむりだ。ところが、私が暇にまかせてホームセンター内をぶらついていた時だった。あるものが目に留まった。作業用のゴム手袋である。赤茶色のよく見るやつだ。ゴムだから濡れることはないだろう。雪かきに使えるかもしれない。もし使い勝手が悪かったとしても、それ以外にも使い道はあるだろう。値段も数百円とそう高くはない。ダメもとで買った。

さっそく使ってみた。ゴムだから水で濡れることはない。グリップ力があって滑らない。期待通りだった。そして、やわらかくて伸縮性もある。手にピッタリだ。スキー用の手袋みたいにモコモコしていない。また、ゴムで熱を通さないから暖かいのである。メリヤスの裏地がついていて蒸れにくい。つまり、快適で機能的、しかも安価なのだ。期待以上であった。さすが作業用だと感心した。私はスキーに行った時もゴム手袋にした。こっちの方がスキー用のよりよっぽどいいのである。だけど、これを他のスキーヤーが見たらびっくりするだろう。私はリフトの順番待ちの時にはジャンバーに手をひっこめるようにして並んだのであった。

こうして私はドカジャンにゴム長、ゴム手袋が冬の定番のアイテムになったのである。当然、大学に通うのもこの身なりであった。学校が終わって下宿に帰るまでにどれだけ雪が積もるかわからない。いつ車がスタックするかもわからないからだ。ということで、医学部の講義室には大勢の医学生の中に一人だけ労務者が混じるような光景が出現したのである。

自分でもまわりの同級生とは少し風体が違っているのは意識したが、機能的だし、必要性から行きついた結果だから少しも臆することはなかった。だが、友人に連れられて整形外科教室の医局に行ったときのことである。医局とはその教室の共有スペースで、教官同士のいろいろな連絡がそこで行われたり、一息いれるためにお茶を飲んだりして寛ぐ場所であった。そこに学生がずうずうしくも出入りしていたのだ。行ったときには医局秘書のお姉さんがいらっしゃった。友人がその秘書さんに私を紹介してくれた。私には初めての場所である。顔をうつむきかげんにしてかしこまっていたが、『こんな格好じゃあ誤解されるだろうな』と想像した。そこでとっさにこうあいさつしたのである。
「失礼します、ふつうの学生です」
私と目が合った秘書さんはいきなり大爆笑であった。バカ受けである。そりゃあそうだ、言った自分も笑ってしまった。この格好していながら真顔で「ふつうの学生」と言われたってねぇ、吹き出さないわけにはいかないでしょう。おかげでその場の空気が和んだ。私と友人はコーヒーを一杯頂いて帰ることが出来たのであった。

このエピソードを家内に話した。そしたら、「それじゃあもてるわけなんかないわよね、足が短いせいじゃないわよ」と一笑された。そうだったのか、自分じゃあ分からなかった。しかし、私も医師になってからはさすがにまともな格好をした。つまりワイシャツとズボン、それに白衣だ。医師としておかしくない格好である。そうしないと患者さんから信用されないのだ。そうか、だから結婚できたのか。私の家内は元同僚の看護師である。医者の格好をしている私とめぐり会ったのだ。これがもし学生時代の私に行き会っていたなら、外見の第一印象で即アウトであっただろう。