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小児科医のコラム54 もてない理由 その二

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コラム54 もてない理由 その二

私の学生時代の冬場のファッションアイテムはドカジャン、ゴム長、作業用ゴム手袋であった。それを家内に話すと、「それじゃあーモテっこないわねぇー」と言われた。そんなふうに言われるとちょっと不満である。なにもワザともてないようにやっていたのではないのだから。ただ機能性重視、経済性優先だった。そのどこがいけないのと言いたいのである。

さらに家内が「じゃあ夏場はどうだったの」と聞いてきたので、私は「西洋タオル」と答えた。そしたら大爆笑である。家内は私が西洋タオルを首に巻いている土方姿を想像したのだ。悔しいけれど、実際その通りだった。私はたいていタオルを首にかけたり巻いたりしていたのである。手を拭いたり汗をぬぐうのにハンカチでは小さすぎる。日本手ぬぐいでもまだ不足だ。吸収できる水分量が少ない。そこで西洋タオルなのである。パイルの生地で面積も大きい。これなら十分だ。しかし難点なのはかさばることであった。ズボンのポケットに入れることなど出来はしない。だからといって腰にぶら下げるのはさすがの私も格好悪いと思った。それで首から下げたのである。

トイレの後に手を洗えば、首のタオルの両端ですぐに拭くことが出来た。ハンカチを取り出すために濡れた手をポケットに突っ込まなくてもいいのである。顔の汗もそのままタオルをつかんでぬぐえた。しかし風が吹くと飛ばされたり、歩いているうちに片方にずれて落ちそうになった。それを避けるために両端をTシャツの丸首から中に押し込んだりあごの下で結んだ。これだと使う時にシャツから引っぱり出したり結び目をほどくのが若干めんどうであった。やっぱり首から下げただけの方がよかった。こうして西洋タオルが夏の私のトレードマークになった。簡単便利で機能的だ。なんにも臆することなどなかった。

ところがこれ以外にも、決定的にもてない理由があることが判明した。それはヘアースタイルである。そのエピソードを初めて家内に話した時、信じられないといったような顔で全面的に否定された。

私のヘアースタイルは小学校まで坊ちゃん刈りだった。床屋に行くと黙っていても自動的に坊ちゃん刈りにしてくれたのである。記憶に残っている幼児期からいつもそうであった。だから、子どもの髪型は坊ちゃん刈りに決まっていると、なんとなくそう思っていた。しかし、中学では男子は全員坊主刈りである。校則で決まっていた。小学校を卒業してから中学校に入学するまでの春休みの間に男子はみんなが頭を丸めるのである。私は母にバリカンで刈ってもらった。我が家では兄が中学に入学する時に電気バリカンを買った。それで兄は母に刈ってもらっていたのであった。坊ちゃん刈りはプロの腕がないと無理だが、坊主刈りなら素人でも出来るだろうと思ったのだ。家でやれば散髪代が節約できると考えたのである。だから私の頭も母が刈ってくれた。道端で級友に出っくわすと、お互いが坊主である。頭を指さし合って笑った。

その当時は自分の容姿に関心が薄かったから、あまり鏡など見ようともしなかった。それが良かったのか悪かったのか分からないが、私は自分のトラ刈りが気にならなかった。頭を刈るごとに級友が教えてくれた。確かに、頭を撫でてみると刈りそこなった毛があっちこっちにピョコーン、ピョコーンと長く飛び出ている。耳たぶの周りには束で残っていた。級友の失笑を買った。本人よりも見ている者の方が気恥ずかしくなったのだろう。憐れんではさみで切ってくれた。

私は授業中など手持無沙汰の時には、トラ刈りの毛を指でつまんでもてあそんだりした。気にしてないとはいえ、それでも母にちゃんと刈るように申し入れた。そしたら「ハイヨ」と気安い答えが返ってきた。なんで耳の周りに多いのか聞いたら、耳たぶが邪魔でバリカンがあてにくいとのことであった。だからといったって刈り残したままでいいはずはない。だが、母にとっては大したことではなかったのである。その後もトラ刈りはなくならなかった。一方、私も相変わらず気にも留めなかった。およそ二人とも髪の毛に関して頓着しなかったのである。

高校では長髪が認められていた。さっそく私も伸ばし始めた。やがて前髪は鼻を覆い隠すようになり、襟首の髪は学生服の背中をこするまでになった。さすがにここまで長くなると鬱陶しい。前髪をしょっちゅう撫で上げなければならない。後ろ髪も何かが付いているようでいちいち気になる。私は散髪することにした。

しかし近所の床屋に行くのはバツが悪かった。中学に入ってぱったり通わなくなっていたのだから。三年ぶりである。どうしていたんだろうと思うにちがいない。理由を尋ねられたらどうしよう。散髪代を節約するために自宅で坊主にしていたとはとても言えない。でも、近所だから既にばれているかもしれない。気後れしたけど仕方がない、プロにお願いするしかないのだ。もう坊主には戻りたくなかった。おそるおそる床屋のドアを開けて中に入って行った。

私はありきたりな挨拶を交わしてバーバーチェアに腰を下ろした。無沙汰していた理由を聞かれたらまずい、そればっかりを考えていた。そうしたら、床屋の主人がこう言ったのである。
「どうしますか?」
私はギョッとした。こんなこと聞かれたのは初めてだ。思ってもみなかった、どうするかなんて。今まではイスに座れば何も言わなくても坊ちゃん刈りにしてもらえていたのだ。だけど私も高校生だ。であるならば、一律に坊ちゃん刈りじゃなかろう、そう床屋さんは考えたのだ。だから希望を聞いたのである。しかし、私にしてみればどうするもこうするもない、適当に短くしてもらえればよかった。どんな髪型があるかなんて知りっこない。何しろ大トラ刈りでも平気だったのだから。私は何か答えなければならない。だけど、まさかこの歳になってまで坊ちゃん刈りはいやだ。じゃあ誰か芸能人に似せるようにとでも言おうか。そんなガラじゃない。私はわらにすがる思いで、「ふっ…、ふっ…、ふつうにしてください」と小声でつぶやいた。普通ってどんなのか自分でもわからない。聞かれたらどうしようと思った。でもそう答えるしかなかった。かくして私はこの日以来、床屋に行くのが億劫になったのである。

大学生になった私はキャンパス内の床屋を利用した。市内の店より料金が安いのだ。そこでもまた同じように希望を聞かれることは十分考えられる。なるべくなら行きたくない。そうはいっても髪が伸びに伸びればどうしても行かなければならない。できるだけ行かないですむにはどうしたらいいか、私はある妙案を思い付いた。それは坊主刈りだ。床屋さんに聞かれたら、「ぼうず」と言えばよいのである。そうすればきれいに刈ってくれる。まさかトラ刈りにはなるまい。いったん坊主になれば、長く伸びるまでには相当時間がかかる。その間は床屋に行かなくてすむ。その分お金も節約できる。まさに一石二鳥だ。

さっそく実行に移した。私はある日突如として丸坊主になった。そしてその足で福利・厚生棟の二階にある学生用の談話室に行った。そこはガラステーブルとソファーがたくさんおいてあって、談話したり勉強したりするスペースになっているのである。あいにくほとんどのソファーは人で埋まっていたが、一つだけ空いているのを見つけた。ただ相向かいには誰かが座っている。同級生だ。そいつは気が置けない奴だから相席しても構わないだろう。私はテーブルを挟んでそいつの真向かいにどっかと腰を下ろした。同級生はずーっと下を向いたままである。何かを一心に読んでいる。よっぽど集中しているのだろう。私のことなど気にも留めていないようだ。私も相手の邪魔にならないように黙ってくつろいでいた。三十分くらい経過したであろうか、向かいの同級生がおもむろに顔をあげて言った。
「なんだぁ、引間かー。脅かすなよー。俺はまたどっかのチンピラかと思ったぜェー」
坊主頭の私を遠目に見てそう勘違いしていた。まともに私の顔など見ることは出来なかったのだ、おっかなくて。どんな因縁をつけられるか分からないと思ったのだ。それがあろうことか自分の目の前のソファーに座ってしまった。だからもう顔を上げられない。それが三十分間かけて顔を盗み見て、やっと同級生の私とわかったのだ。私にしてみれば失礼な話である、こっちは何の悪気もない散髪したての「ふつうの学生」だったのだから。

その後しばらくの間は床屋から解放された。しかし、髪はまた徐々に伸びていった。もう少しで半年になるところで、あまりに長くなりすぎた髪に我慢できなくなった。しょうがない、また行くか。でもこの時までに私はスポーツ刈りという言葉を知った。ぼうずよりはかっこ良さそうだ。今度はためらうことなく「スポーツ刈り」と指定した。そしてこれ以降、私は髪が限界になるまで伸びたら散髪してまたスポーツ刈りに戻すというサイクルを約半年ごとに繰り返した。この話を家内にしたのである。そしたら意外や意外、おもいっきり呆れられてしまった。「変、それぜったい変、それじゃあモテっこないわよ」と。家内にいわれるまで三十年間、自分じゃそんな認識は全くなかった。その当時の私は何の疑問も持たず、誰にも物おじせずにやっていたことなのだから。周りの女子学生の目にどう映っていたかなど知る由もなかった。

ちなみに、誤解のないように付け加えると、もちろん今ではそんなことやってはいない。そりゃそうだ、いつも優しく診てくれる小児科の先生がもしも突然に坊主頭になったら…。怖がって子どもは泣いてしまうかもしれないじゃないか。